医療や福祉、保険、教育といった分野では「作業療法」の一環として「手仕事」や「庭仕事」といったさまざまな「作業」がなされてきました。それらは身体的な活動を通して、人間の心身をより健康な状態へと導こうとする試みです。ひとりで何かをつくることに没頭したり、複数の人たちと一緒に何かをつくりあげること、身体とともに試行錯誤することは、それを行う人間に何をもたらすのでしょうか?それらの活動をアートの側から眺めてみることで、どんなことが明らかになるでしょうか?今回のSalon Zでは、インディペンデント・キュレーターの青木彬さんをお招きし、精神病院やセツルメント運動についてのリサーチ、ご自身の「遺灰」を用いた「義足」づくりの経験などをご紹介いただいたあと、参加者の皆さまと一緒にアートとケアのあり方について考えを深めました。

開催日時:2023年2月25日(土)13:00-15:00

会場:YAU STUDIO(千代田区有楽町1-10-1有楽町ビル10F)

ゲスト:青木彬(インディペンデント・キュレーター)

ホスト:登久希子(日本学術振興会)

「サロンZ」は、マインドスケープス東京の活動について様々な角度から考える場を提供することを目的に開催しました。

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レクチャーは、青木さんのこれまでの活動をふまえ、「セツルメント運動とアートの接点」「作業療法:松沢病院」「幻肢痛と義足」「アートと名付けられない『切実な想像力』」というゆるやかにつながる4つのテーマに沿って行われ、適宜参加者からの質問にも答えていただきました。休憩時には参加者が義足に実際に触れて重さを感じてみたり、始終リラックスした雰囲気の2時間でした。ここでは、簡単にレクチャーの内容をまとめてみたいと思います。

セツルメント運動とアートの接点

墨田区を拠点のひとつとして活動をつづけるなかで、青木さんは20世紀初頭に設立された「興望館」の歴史や活動に関心を寄せ、協働でワークショップや展覧会などを行ってきました。「興望館」は日本におけるセツルメントとして、はじめ北米の女性宣教師たちを中心に立ち上げられました。19世紀のイギリスではじまった社会福祉運動としてのセツルメントについて調査をすすめるうちに、青木さんはそれが最初期からアートと深い関わりをもつ活動であったことを知ります。例えば、現代美術の文脈で名の知られるロンドンの「ホワイトチャペル・ギャラリー」は、貧困に苦しむ地域の人々にアートを届けるセツルメントの一環として設立されたものです。アメリカの例で言えば、ジャクソン・ポロックは一時期、ニューヨークのセツルメントの一つで陶芸教室の講師として働いており、彼のドリッピングは陶芸で釉薬が垂れる様子から得たインスピレーションに基づいているという説もあるそう。日本では「だるまちゃんシリーズ」のかこさとしとセツルメントの関わりがよく知られていますが、ほかにも美術家や作家が関係していた事例があるそうです。青木さんは、セツルメント運動が国内外の特定のアーティストたちにとって身近な存在であったこと、その理由としてアート、とくに地域と関わる「アートプロジェクト」とセツルメント運動に共通する哲学・思想的な文脈があったと考え、セツルメント運動で取り組まれていた文化活動に、日本のアートプロジェクトの源流を見出します。

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作業療法:松沢病院

ここでは、松沢病院という都立の精神病院で大正期に行われていたいくつかの大がかりな造園プロジェクトを紹介していただきました。「作業療法」というにはあまりにも規模が大きい「池づくり」や「山づくり」に、青木さんは他者(ここには多分、他の人、自然環境、道具といったあらゆる存在が含まれているのだろう)と力を合わせて共同で行う行為、そこで出来上がっていくものがもつ可能性にスポットライトをあてます。他にも、病院内の野球チームの話など、他者と協働すること、身体をうごかすことが心/精神にもなんらかの良い効果を生むだろうことが、当時の病院環境で共有されていたと思われる事例をいくつか紹介いただき、いわゆる「精神病院」の一般的なイメージとはかなり異なる側面が垣間見れました。

幻肢痛と義足

数年前に病気のために右足を切断した青木さんから、幻肢痛について、義足について、当事者の視点と、もう少し客観的な、引いた視点から語っていただきました。幻肢痛については、メルロ=ポンティの著作などを読み、それを実際に経験してみることができるとわくわくしていた青木さん。術後の強烈な痛みの経験から、リハビリ、義足づくりについて、noteに日記として記録されてきたそう。義足という道具については、その存在は知っていても、どのようにそれが作られ、カスタマイズされるのか、あるいは義足ユーザーの声はあまり知らないというオーディエンスがほとんどでした。青木さんの場合は、自らの切断した足の遺灰を用いて制作した布を義足に貼り込もうと試行錯誤を行うなど、通常、数ヶ月で完成させる本義足の製作に一年半以上の時間をかけてきました。当日は、出来上がったばかりの義足をお披露目してくださいました。さらに漆職人に加工をしてもらうとのこと。